松本ちえこ(まつもと ちえこ)初代バスボンガール、博多っ子純情、夕ぐれ族などに出演していた元アイドルのヘアヌードエロ画像
プロフィール
誕生日:1959年11月12日
没年月日 2019年11月17日(60歳没)
出身地:東京都
血液型:O型
活動期間 1974年 – 2019年
スリーサイズ
身長:160
スリーサイズ:B84-W63-H88cm
来歴
友達とテレビ朝日の歌番組「ベスト30歌謡曲」の観覧に行った際にスカウトされる。テレビ局の人から「冗談でいいから番組で今度桜田淳子ちゃんの歌をうたってみてくれない?」と持ちかけられ、OKしたことがデビューの発端となる。
その後、NETテレビ(現:テレビ朝日)の歌謡バラエティー番組『前武のヤングアップ』タレントスカウトコーナーに出場し合格、1974年、アイドル歌手としてシングル『ボーイフレンド』でデビューした。
1976年に活動を再開。再開直後に資生堂バスボンのCMでブレイク。CMで歌われた『バスボンの歌』が話題になりシングル化はされなかったが後にアルバムには収録された。その勢いもあり同年発売のシングル『恋人試験』が大ヒット、その後も「恋人」「学業」関連の楽曲が続き『ぼく』ではスマッシュヒットとなった。
1977年には当時のキャニオンレコードフレッシュガール(木之内みどり、岡田奈々らと三人組)によるニッポン放送キャンペーンガールとして年間を通してラジオキャッチコピー『フレッシュラジオ』として活躍した。
月刊プレイボーイ1979年12月号でヌードグラビアを発表し「アイドルがヌードによって過去のイメージを脱却して新たなステージへと進む」という手法の第一号となった。さらに日活ロマンポルノに出演するなど女優業へ活動の場を移す。
1977年暮れ頃から、松本の下腹部が急に膨れて外見からもはっきり分かるようになり、それを隠すためにマタニティ風の衣装を着ることが多くなってきた。
これがマスコミに察知されたことで「松本ちえこ妊娠説」となってひとり歩きし、父親探しのゴシップが出回る事態にまで発展した。松本は翌1978年年明けに腹水を抜く手術を行い、退院後に会見を行ったが、年末年始を挟んだことが災いして情報の伝達が遅れ、アイドルとしての商品価値を失う結果となった。
2019年11月17日朝に大動脈瘤破裂のため死去したことが、同年12月6日配信の週刊女性PRIMEで明らかになった。60歳没。
(Wikipediaより抜粋)
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